mimimi pacun pacun

2012年からの夢日記を載せてます

今の記憶を持ったまま、幼少期に起きた2つの天災を再体験。(ただし、現実にはそんな天災は、起きていない)この体験は、政府が防災のためにさせてくれるらしい。

一つめ。山の中の幼稚園。皆が外にいるとき、私は忘れ物を取りに1人教室に戻る。と、同時に地震。体感では震度5程度。今なら慣れもあってパニックにはならないが、当時は違った。教室は地下にあるためどこからか水が溢れて床が水浸しに、急いで階段を上がってベランダから外に出る。小さな体で階段を昇るのがもどかしかった。どこからか逃げてきたホワイトタイガーも階段をのぼりたいみたい。
外に逃げた私は皆のいる園庭に行きたい。必死に走る。日は沈んでいて、園庭では屋台が出て、お祭りになっている。ようやく両親を見つけて一安心。

二つめ。両親と家にいる。18:30ごろ、もうすぐだ、と私がつぶやく。空がブルーや、ピンクに光る。怖いけど、色は、綺麗。これが、前兆。遠くのほうから真っ直ぐに白い光がミサイルのように飛んでくる。我が家の脇の道路に、落ちた。地響き。両親と共に避難場所の公園へ向かう。何が落ちたんだろう。隕石?ミサイル?道路はボロボロだけど、落ちたものは見えない。私は毛布やストールを多めに持っていた。当時の記憶に「寒かった」という感触が残っていたから。両親に、分ける。公園に着くと、もう大丈夫だから、家に帰ろうという雰囲気だったので、引き返す。途中の道で、また同じ方向から、今度は地面がバチバチと光りながら向かってくる。光は左にある川を通って、地響き。やっぱり、綺麗だけど、すごく怖い。もう一度、水しぶきをあげて何かがむこうからやってくる。よく見ると、ドラえもんのラジコンボートだった。自衛隊の道具らしい。母が浅い川に落ちて笑っている。怪我はなさそうだ。私が4歳くらいだから、母もまだ30代で、身のこなしが軽かったんだ、と、安心する。

目の前が突然文章になる。当時の母が書いた日記が、貴重な記録として出版されていたらしい。1度めの災害の後、玄関に家族分の防災頭巾と、傘や毛布、その他必要になりそうなものを揃えたことが!イラスト入りで描いてあった。今の家にも、ちゃんと備えないとな、と思った。玄関に置くのはいいかもしれない。続いて、私の変化が記されていた。2回の災害後、パニックを突然起こすようになったこと、パニックは何種類かあること、体重が日に日に落ちて3kgも痩せたこと。小さな子供の体で3kgって相当じゃないかなと思った。それで、私のあの記憶は、パニックを起こしていたときのものなのか、と自覚をした。息が苦しくなって、視界が青だったり、白だったり。確かに2種類あった。